本書は直接的にリテールメディアをテーマとした書籍ではないが、日本型リテールメディアにおいて重要な位置づけとなるであろう共通ポイントについて大変興味深いインサイトを得られる書籍だ。
まず本書は、各社の共通ポイントプログラムを整理・比較したようなムックでもなければ、「ポイ活」が流行する世相をスナップショットしたようなライトな書籍ではない。CCC社でTポイントの責任者として世に生み出した笠原氏が、袂を分かって楽天ポイント陣営に移り、自ら生み出したTポイントを切り崩していくドキュメンタリーを、名古屋和希ダイヤモンド副編集長が迫真のタッチで書き上げた書籍だ。織田信長が小国尾張から中央を制圧し、豊臣秀吉が機を逃さず交渉をまとめ、徳川家康が根回しによって関が原を勝利に導いたような歴史絵巻を、あたかも現代の20年間に凝縮したかのような痛快活劇である。
特に提携交渉における相手の足元と自社の環境を鑑みながらの駆け引きは、さながら戦場での一騎打ちだ。交渉相手の実名も明かされているため、NDAの有効期間は何年なのだろうかと読者をハラハラさせてしまうほどには生々しい。ダイヤモンド・オンラインでの連載記事をベースに編集されたとのことだが、エピローグでは伏線が次々と回収されるのも痛快だ。
私は共通ポイントが日本では何故ここまで広く普及しているのか、従前から不思議に思っていたのだが、本書籍によって歴史的経緯を知ることで腑に落ちた。Tポイントが隆盛であった頃の「共通ポイント」と、楽天ポイントやdポイントが本格参入してからの「共通ポイント」は、ユーザーからは同じように見えていても、ビジネスの世界は大きく変わっていたのである。本書では明確に整理はされていないが、クローズドなロイヤリティとしての共通ポイントから、オープンに購買データを取得・活用するための共通ポイントに変化したと私は捉えた。言い換えるならば、リピーター向け施策から集客・分析施策に変わったとも言える。
今となっては信じられないことだが、原初のレンタルビデオ&CDショップとしてのTSUTAYA会員カードは、FC(フランチャイズ)のオーナーによって個々に発行されていたとのことだ。つまり、オーナーの異なる「TSUTAYA」店舗では使えなかったのだ。自店舗に囲い込みたいFCオーナーによる反対の声を封じるため、共通カードと同時に共通ポイントによってユーザーベネフィットを大きくすることが着想の原点だ。それはTSUTAYAだけでなく、他業種に渡って利用できる共通ポイントである方がユーザーにとっての利便性は大きい。レンタルビデオ&CDは貸して返される金融業のようなビジネスであるため、本人確認をベースとしてカードを発行しているということも、発行体としてのポジションに適していたのだろう。
そのTポイントが共通ポイントへ踏み出す際に重要だったのが、「一業種一社」という契約である。一般的にポイントカードは、購入時に貯まったポイントを後日来店して同じ店舗や同じチェーン店で使って欲しいという目的のもとで発行される。リピーター獲得のためのロイヤリティー醸成が目的であるためだ。一方で単純にユーザー利便性に配慮して共通ポイントを実現してしまうと、自店舗で貯まったポイントを競合他社でも使われてしまう可能性があるため、ポイントを発行する意味合いが薄くなってしまう。そこで、たとえばENEOSが導入したら競合ガソリンスタンドでは使えないという一業種一社に加盟制限をすることで、競合にはならない企業同士が送客・集客を行いあうコンソーシアムが実現する。そして、コンソーシアム内ではお互いが知ることのできなかった店外の購買履歴に基づいて集客のためのマーケティング施策を打つことができるようになる。このTポイントが作り上げた一業種一社の共通ポイントを本記事では「旧共通ポイント」と呼ぼう。
一方で、共通ポイントに後発で参入し、ネットワーク外部性の弱かった楽天ポイントはオープン化戦略を取った。一業種一社に制限することなく競合企業同士も呉越同舟し、店舗がデータ収集のために独自ポイントや独自会員カードを継続発行することも認め、併存させる戦略だ。この競合同士が呉越同舟するオープンな共通ポイントを本記事では「新共通ポイント」と呼ぶ。では、店舗は何のために共通ポイントをシステムコストを支払ってまで導入するのだろうか。一つ目の目的は、楽天の膨大なECサイトユーザーを店舗へ送客してもらうことである。独自ポイントは既存会員にしか届かない施策であり、新規顧客の獲得をできる施策ではないためだ。もう一つの目的が、購買データを取得するためである。購入者がポイントカードなどの会員証を提示しなかった場合、その購入者はどんな属性でどこに住んでいて他にどんなものを購入したことがあるのかといった情報は一切わからない。ポイントカードを提示させることで、誰がどの商品をいつ買ったのかという点が繋がって線になる。顧客の連続的な購買データを分析することが商品開発やサービス改善につながることは想像に難くない。なお、Tポイントの頃には単品の購買履歴を把握できていたが、Vポイントに統合された後は単品での購買履歴がわからないようになったと思われるとの記述は衝撃だ。
笠原氏自身が作り上げた一業種一社条項の入ったTポイント契約の砦をいかに取り崩すか、その戦略はさながら現代版の城攻めのようだ。楽天による送客効果という可視化しやすい指標によって、オセロを返すように契約を獲得していく。
もしもTポイントが共通ポイント化を実現していなかったら、日本にはどういう世界が広がっていたのだろうか。仮に旧共通ポイントが存在しない世界に一足飛びに新共通ポイントを放ったとしても、どの店舗も導入に二の足を踏むだろう。店舗側のベネフィットが大きい旧共通ポイントが開拓した土壌の上に、ユーザー側ベネフィットの大きな新共通ポイントが放たれたことで、ユーザーはたちまち乗り換えた。その結果、日本の大半の人々の購買データを分析し、柔軟なインセンティブ設計やセグメンテーションが可能なマーケティング基盤が実現したのだ。
日本のリテールメディアの普及においては、スケールが最大の課題となることは間違いない。米国におけるECのAmazonや実店舗のウォルマートのような独占的なプレイヤーが不在であり、購買は分散しているためだ。しかし、日本の小売店の大半には何らかの共通ポイントが既に導入され、購買データのトラフィックが轟々と流れている。日本型リテールメディアにおいて、人々の行動をポイントで喚起し、購買データを捕捉して効果検証を行う中で、共通ポイントという"血液"は欠かせない存在となるだろう。